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5分でわかる!フィレンツェの歴史
Ciao a tutti! みなさん、こんにちは。
イタリア留学先で最も人気のある街、フィレンツェ。
フィレンツェに留学するなら、フィレンツェの歴史を知っておくと、街歩きが10倍楽しくなりますよ♪
でも歴史って難しそう…
確かにフィレンツェの歴史は長いので、今回は最も有名な部分について、解説します!
■12〜14世紀
1115年にフィレンツェは自治都市となり、共和国政府が成立。
1348年にペストが大流行、人口が大幅に減少します。
■15〜16世紀 ①
ペストの流行が収まり、次々と公共事業が立ち上げられ、歴史に残る建造物が作られます。
1424年にギベルティが洗礼堂を、1400年代前半にはブルネッレスキの設計したドゥオーモのクーポラの建造が終了します。
1400年代前半は、町の経済発展とともにメディチ家が経済的、政治的に影響力を持つようになります。
■15〜16世紀 ②
メディチ家の当主、コジモ・デ・メディチ、ピエロ・デ・メディチ、そしてロレンツォ・デ・メディチの代まで、メディチ家は繁栄が続き、パトロンとして、フィレンツェにはルネサンスが開花します。
この頃、ボッティチェッリ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロらが輩出されます。
しかし、その後修道士サヴォナローラがメディチ家批判をはじめ、1494年のフランス軍のフィンレンツェ侵攻の政策失敗を指摘されたメディチ家はフィレンツェから追放。
■15〜16世紀 ③
メディチ家がその後フィレンツェに戻るのは18年後。
この頃、ローマではロレンツォの息子、ジョヴァンニがレオ10世としてローマ教皇に即位します。
その後スペイン軍によりフィレンツェを追放されたメディチ家ですが、スペイン王と和解が成立し1530年に再びフィレンツェに帰還、1532年アレッサンドロ・ディ・メディチにトスカーナ大公の位が与えられ、名実ともに、メディチ家がフィレンツェの支配者に。
■15〜16世紀 ④
コジモ・ディ・メディチがトスカーナ大公1世に就任し、自らの住居をヴェッキオ宮殿からピッティ宮殿に移ります。
1565年ピッティ宮殿とヴェッキオ宮殿を結ぶ通路、ヴァザーリ回廊が完成。
1581年、フランチェスコ1世が行政機関のオフィスとして使われていた建物を改装して美術品を展示するギャラリーを作りました。これが今のウフィッツィ美術館です。
■17〜18世紀
1600年マリア・ディ・メディチがフランス王妃としてフランスへ渡ります。
メディチ家にとって、二人目のフランス王妃でした。
跡継ぎに恵まれなかったメディチ家は、1737年アンナ・マリア・ルイーザを最後に途絶えました。
*
こうしてみると、フィレンツェの歴史はメディチ家の一大叙事詩という感じですね。
もちろん古代ローマ時代から、近代までフィレンツェの歴史はもっと奥深いです。
今回は、ルネサンス期を中心にメディチ家に焦点を当ててご紹介しました!
今後のイタリア留学の参考になれば幸いです☺️
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